【逃げ馬予想】週刊・逃げ馬ランキングブログ

現役・逃げ馬をランキングしていく逃げ馬好きのためのブログ▼逃げ馬限定で今週の重賞予想を発信。レース後には展開を分析、逃げ馬をランク付け。初心者でも分かりやすい逃げ馬まとめ一覧表を掲載

【競馬】逃げ馬好きなら押さえておきたい!『歴史的逃げ名レース10選』

2017年から現役逃げ馬のランキングをつけているこのブログ、今回は自分の知っている過去すべてのレースから「これは見てほしい!」というレースを選んでみた

JRAの公式映像がないものもあり現状レース動画が必ず見られるとは限らないけれど、興味持ったレースがあったらググって探してみてほしい!

 

1980年 天皇賞(秋)【プリテイキャスト】

人気薄の6歳牝馬プリテイキャストが好スタートを切ってすぐに先頭に立つと、その後もスピードを落とすことなくまい進した。後ろの馬たちは位置取りが決まると長距離に備えてペースダウンしたため、みるみる60mほどのリードが広がっていった

これほどの差がついても人気馬を含む後続たちは牽制を続け積極的には追わず。直線を迎えても40mほどのリードを保っていたプリテイキャストはさすがに最後バテたものの結局7馬身もの差をつけてゴールした

この時のアナウンサーの「二番手以下は届かない、絶対に届かない!」は”後続馬たちの失態”と”プリテイキャストの強さ”を同時にあらわした名実況といえる

おまけ話になるがプリテイキャストの仔のスティールキャストは、ナリタブライアンが三冠を決めた1994年菊花賞に出走し母譲りの超大逃げを披露しファンを湧かせた

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1981年 ジャパンカップ【サクラシンゲキ】

「世界に対して日本の馬は今どれほどのレベルにあるのか?」その差を測るために1981年に創設されたのがこの第一回ジャパンカップ。そんなレースにスプリンターズSを制した生粋の短距離馬サクラシンゲキが選出され、陣営は果敢にもこれを受け挑戦することになった

レースではスタートから押しまくりすぐに先頭を確保。それでもカナダの逃げ馬ブライドルパースがすぐ後ろについてきて超ハイペースになり1000m通過は57.8秒。そんな厳しい展開でも最後の直線半ばまでは先頭を守り、そこで力尽きて9着でゴールした

結果的に日本の有力馬が惨敗し上位を外国馬に独占されるショッキングなレースとなったジャパンカップだが、唯一果敢に外国馬に進撃し、桜のように華麗に散ったサクラシンゲキの姿は称賛され「日の丸特攻隊」と表された

>>YouTubeでサクラシンゲキを検索

 

 

1990年 日本ダービー【アイネスフウジン】

華麗な逃げでのレコードタイムで見事な勝利。しかし本当に有名なのはレース後。現在でも最多入場人員記録となっている19万6517人もの観衆が起こした「ナカノコール」は、競馬がただの「ギャンブル」ではなく「レジャー」へと認識される歴史的出来事となった



 

1993年 オールカマー【ツインターボ】

ツインターボがスタートから手綱を抑えているにもかかわらずグングン飛ばして先頭へ。第一コーナーで5馬身、第二コーナーで10馬身、向こう正面で15馬身、第三コーナーでさらに差を広げるとんでもない大逃げ。直線に向いてもゆうに10馬身以上のリードがあり最後5馬身差をつけてゴール

この逃げ、実は1000m通過が59.5秒と見た目に反して”やや速い”程度の常識的なラップ。後続がこのラップでも追わなかったのはツインターボが前走七夕賞で1000m57.4秒の猛ラップで逃げ切ったという”前フリ”が効いて、ペースを錯覚したためと考えられる

ツインターボはかつて「最もレーシングボックス※で走っている馬」と言われたほど、このオールカマーの映像は競馬ファンの間でいつも再生され続けていた。そしておそらくこれからもツインターボは映像の中でいつも走っていくのだろう ※レーシングボックス・・・当時競馬場などの競馬施設にあった過去レースが見られるテレビ

 

 

1996年 スプリンターズS【エイシンワシントン】

3番人気エイシンワシントンが逃げ、1番人気フラワーパークが2番手のまま展開。快調に飛ばしたエイシンワシントンに最後の直線でフラワーパークが並びかけ、そこから叩き合い状態に突入

徐々に迫るフラワーパークに対しエイシンワシントンも伸び脚を維持して迎え撃ち、最後は首の上げ下げでゴール。10分以上の長い写真判定の末フラワーパークが勝った

ハイペースだったにもかかわらず最初から最後まで前2頭で決まった実質”一騎打ち”のレース。後に「ハナ差1㎝の決着」としてJRAのCM「ザ・レジェンド」でも取り上げられるほどの名勝負だった

 

 

1997年 日本ダービー【サニーブライアン】

大外18番枠から押しまくって内に切れ込んでサニーブライアンが先頭に。すぐにスローに落とし1馬身半のリードで展開。直線に向いてスパートをかけると一気に瞬発力で後続を4馬身突き放し、最後までリードを守って1馬身差で勝利

皐月賞馬にもかかわらず6番人気と評価が低かったサニーブライアンが華麗なパフォーマンスで逃げ切った結果に対してアナウンサーが放った「これはもう、フロックでも、何でもない!」という言葉は名実況として有名である

フロックどころかこのダービーで倒したメンバーが凄い。朝日杯3歳S馬マイネルマックス、後の有馬記念馬シルクジャスティス、天皇賞馬メジロブライト、菊花賞馬マチカネフクキタル、宝塚記念馬サイレンススズカ、中山大障害馬ゴッドスピードと、振り返ると皐月賞馬サニーブライアンを含めて7頭ものG1(JG1)馬が一同に会した超ハイレベルっぷり

また、改めて皐月賞の走りを見返すとダービーと同じように残り400mから目を見張る瞬発力を発揮していて実に強い内容。結局ダービーを最後に引退することになったため本当のところはわからないのだが、もしかしたらサニーブライアンは最強馬クラスだったのかもしれない

 

 

1998年 金鯱賞【サイレンススズカ】

サイレンススズカが持ったまま自然に先頭に立ち、その後も持ったまま徐々にリードを広げて向こう正面では7馬身差。そのリードが縮まらないまま直線に向くとむしろさらに突き放していきレコードタイムで勝利。終わってみれば2着に1.8秒差をつける圧勝劇

このレースはもう有名過ぎて詳しく紹介するまでもないくらいだろう。しいていうなら直線途中で武豊騎手が振り返って大差を確認した後、よほど嬉しかったのかゴールよりかなり前で彼にしては大変珍しい”無邪気な感じのガッツポーズ”を決めているのが注目ポイント

 

 

2003年 天皇賞(秋)【ローエングリン】

内枠からスタートを決めた2番人気のローエングリンに外からゴーステディが並びかけてきて2頭が全く引かずに加速。1000m通過56.9秒という狂乱ペースになり直線入口でゴーステディが脱落。ローエングリンも残り200m地点で捕まり馬群に沈んだ

ローエングリンの騎手は後藤浩輝、ゴーステディの騎手は吉田豊。1999年に起こった俗にいう「木刀事件」の当事者二人であり、人の意地の張り合いに馬が巻き込まれた珍しいレースと言えそうだ

両者ともあまり褒められた騎乗ではないが”もし逃げ馬同士がどちらも引かなかったらどうなるか?”の例としてこれほど参考になるレースはない

またローエングリンはこの後もスタートセンスが磨かれ続け、晩年の2007年には中山記念でフライングまがいのロケットスタートを決めて逃げ切り勝ち。その後スプリンターズSではスタート自慢のスプリンター相手にもかかわらずまたもフライングまがいのとんでもない好スタートを決めたりと、息の長い逃げキャリアを続けた

 

 

2014年 アイルランドT【エイシンヒカリ】

エイシンヒカリが持ち前の速さで自然と先頭に。一瞬にして5馬身差をつけそこからもさらにリードを広げていき最終コーナー出口で15馬身ほどの差

しかし直線に向くと外に外に向かって走り始めゴール地点では外ラチに到達。それだけの距離ロスがあっても2着に3馬身半差で勝利した

後に香港Cイスパーン賞と海外G1を獲る馬。実力があってこその怪パフォーマンスといえる。外に走り出していく姿はレースそのものから逸脱するような、または競馬の常識から抜け出すような”自由さ”を感じた


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2017年 中山大障害【アップトゥデイト】

スタートは立ち遅れ気味だったアップトゥデイトだが押してスピードが乗ると前に進出。しばらくして先頭に立つとそこからはみるみる差を広げていった。他馬は特に誰も追うことなくレースが進行し15馬身の大逃げになった

レース後半、多くの馬は自分の走りに精一杯の様子で一番人気のオジュウチョウサンは自ら動くしかなくなり一頭で徐々に進出。残り800mほどから獣のような走りで猛然と追いかけはじめると差は縮まっていった

最後の直線、逃げるアップトゥデイトは死力を振り絞ってゴールに向かったものの、決勝点直前でオジュウチョウサンにかわされ敗北した

これまで絶対王者のオジュウチョウサンが現れてからというもの、前王者であるアップトゥデイトは何度も負けてきた。そこで”力だけでは勝てない”と「大逃げ」という勇敢な奇策に打って出たのがこのレース

新旧2頭の王者の大激戦はもはや”逃げベストレース”どころか”日本競馬史に残る名勝負”といってもいいほどの素晴らしさだった

 

 

 

まとめ&おまけ

10レースにこだわって厳選するのは大変苦労した。”逃げ”とは”速さ”が重要な戦法なので「血統の改良」や「馬場の均一化」などを考慮するとどうしても現代に近い時代のレースの中から選ぶことになってしまうのは理解してもらいたい

 

▼10選には入らなかったけれども歴史に残る逃げ名レースとしては

【1965年有馬記念・ミハルカス】

最強馬シンザンを荒れた馬場の内に押し込めようと最終コーナーで外ラチいっぱいをまわったところ、シンザンはさらにその外のギリギリに突っ込んでくる

【1975年桜花賞・テスコガビー】

「うしろからは何にも来ない!」の歴史的大差

【1975年日本ダービー・カブラヤオー】

1000m通過58.6秒という超ハイラップでの逃げ(勝ち時計2:28.0)

【1977年日本短波賞・マルゼンスキー】

第三コーナーで止まりかけるアクシデントも再加速し後の菊花賞馬たちを赤子扱いで圧勝

【1981年巴賞・ハギノトップレディ】

ブロケードとの桜花賞馬同士のマッチレース

【2019年オーシャンS・モズスーパーフレア】

日本競馬史上最速馬と評しているモズスーパーフレアの古馬重賞初挑戦。当時の逃げトップホースラブカンプーナックビーナスイエローマリンバといった逃げ馬たちが揃い、1F目のラップは11.4秒

 

 

▼また必ずしも”逃げ馬”というわけではないが、そのレースを逃げた馬が主役と言っていい名レースとしては

【1973年ベルモントS・セクレタリアト】

直線で早々とカメラレンズの画角の限界を超えてしまいずっと一頭だけで映ってゴール

【1977年有馬記念・トウショウボーイ】

テンポイントとの完全なマッチレース

【2004年天皇賞(春)・イングランディーレ】

大逃げからの「この馬はスタミナがあるぞ!(馬場鉄志)」で7馬身差ゴール

 

などがある。これらも逃げ馬好きのバイブル的なレースなのでオススメ!

 

 

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